世界遺産登録への取組み
世界文化遺産としての推薦
「明治日本の産業革命遺産九州・山口と関連地域」は、平成26年に政府として世界文化遺産に推薦し、イコモスの審査を経て、平成27年5
月に名称を「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として記載勧告。同年7月5日に世界遺産委員会において「記載」決定。
・平成26年1月末閣議了解の上、ユネスコ世界遺産センターに推薦書正式版を提出。
・平成26年9月下旬~10月上旬、国際記念物遺跡会議(イコモス)による現地調査。
・平成27年5月4日、ユネスコ世界遺産センターからイコモスによる「記載」勧告の通知。
・平成27年7月5日、ユネスコ世界遺産委員会で世界遺産一覧表への記載が決定。
資産の概要
・西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを証言する産業遺産群により構成されている。
・19世紀後半から20世紀の初頭にかけ、日本は工業立国の土台を構築し、後に日本の基幹産業となる造船、製鉄・製鋼、石炭産業と いった重工業において急速な産業化を成し遂げた。
・一連の遺産群は造船、製鉄・製鋼、石炭と重工業分野において1850年代から1910年の半世紀で西洋の技術が移転され、日本の伝統文化 と融合し、実践と応用を経て産業システムとして構築される産業国家形成への道程を時系列に沿って証言している。
資産の構成
・幕末~明治中期の産業遺産群。
(萩、集成館、韮山反射炉、橋野鉄鉱山、三重津海軍所跡、小菅修船場跡、高島炭坑、端島炭坑、旧グラバー住宅、三角西港)
・明治後期(~1910年まで)に、産業国家形成に至った際の重工業の重要拠点。
(官営八幡製鐵所、三菱長崎造船所、三池炭鉱・三池港)
所在地
福岡県:北九州市;大牟田市;中間市、佐賀県:佐賀市、長崎県:長崎市、
熊本県:荒尾市;宇城市、鹿児島県:鹿児島市、 山口県:萩市、岩手県:釜石市、静岡県:伊豆の国市
構成資産一覧
萩 | |||
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ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
1-1 | 萩反射炉 | 文化財保護法(史跡) | 山口県萩市 |
1-2 | 恵美須ヶ鼻造船所跡 | 文化財保護法(史跡) | |
1-3 | 大板山たたら製鉄遺跡 | 文化財保護法(史跡) 河川法(準用河川) 景観法(景観重要河川) |
|
1-4 | 萩城下町 | 文化財保護法(史跡、重要伝統的建造物群保存地区)、道路法 | |
1-5 | 松下村塾 | 文化財保護法(史跡) | |
鹿児島 | |||
ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
2-1 | 旧集成館 | 文化財保護法(史跡、名勝、重要文化財) | 鹿児島県 鹿児島市 |
2-2 | 寺山炭窯跡 | 文化財保護法(史跡) | |
2-3 | 関吉の疎水溝 | 文化財保護法(史跡) | |
韮山 | |||
ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
3-1 | 韮山反射炉 | 文化財保護法(史跡) 河川法(準用河川) 景観法(景観重点整備地区) |
静岡県 伊豆の国市 |
釜石 | |||
ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
4-1 | 橋野鉄鉱山 | 文化財保護法(史跡) 景観法(景観重要建造物) 国有林野の管理経営に関する法律(国有林野・保護林「郷土の森」) 河川法(準用河川) |
岩手県釜石市 |
佐賀 | |||
ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
5-1 | 三重津海軍所跡 | 文化財保護法(史跡) | 佐賀県佐賀市 |
長崎 | |||
ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
6-1 | 小菅修船場跡 | 文化財保護法(史跡) 景観法(景観重要建造物) |
長崎県長崎市 |
6-2 | 三菱長崎造船所 第三船渠 |
景観法(景観重要建造物) 港湾法 |
|
6-3 | 三菱長崎造船所 ジャイアント・ カンチレバークレーン |
景観法(景観重要建造物) 港湾法 |
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6-4 | 三菱長崎造船所 旧木型場 |
景観法(景観重要建造物) 港湾法 |
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6-5 | 三菱長崎造船所 占勝閣 |
景観法(景観重要建造物) 港湾法 |
|
6-6 | 高島炭坑 | 文化財保護法(史跡) | |
6-7 | 端島炭坑 | 文化財保護法(史跡) 海岸法 |
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6-8 | 旧グラバー住宅 | 文化財保護法(重要文化財、 重要伝統的建造物群保存地区) |
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三池 | |||
ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
7-1 | 三池炭鉱、三池港 (宮原坑、万田坑) (専用鉄道敷跡) (三池港) |
文化財保護法(史跡、重要文化財) 文化財保護法(史跡) 景観法(景観重要建造物) 港湾法、 道路法(市道認定)、 景観法(景観重要建造物) |
福岡県 大牟田市 熊本県荒尾市 |
7-2 | 三角西港 | 文化財保護法(重要文化財、重要文化的景観) | 熊本県宇城市 |
八幡 | |||
ID | 構成資産名 | 国の保護措置状況 | 所在地 |
8-1 | 官営八幡製鐵所 (旧本事務所) (修繕工場) (旧鍛冶工場) |
景観法(景観重要建造物) 港湾法 |
福岡県 北九州市 |
8-2 | 遠賀川水源地ポンプ室 | 景観法(景観重要建造物) | 福岡県中間市 |
各構成資産の概要
萩 | |||
---|---|---|---|
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
1-1 | 萩反射炉 | ![]() |
反射炉に用いる煙突部分の構造物は、海防上の重要拠点を統治した萩(長州)藩が、西洋技術の情報をもとに、独力で、反射炉建設に挑戦した価値ある試行錯誤を物語っている。 |
1-2 | 恵美須ヶ鼻造船所跡 | ![]() |
海防上の重要拠点を統治した萩(長州)藩は、幕府の要請を受け、木戸孝允の意見書に基づき、萩において海防用の船を建造し、西洋技術に学ぼうとした。1856 年に「丙辰丸」、1860 年に「庚申丸」が建造されている。伝統的な小型の木造帆船の和船建造を改良しようとするレベルではあったが、価値ある試行錯誤が行われたことを物語っている。 |
1-3 | 大板山たたら製鉄遺跡 | ![]() |
日本の伝統的なたたら製鉄により、恵美須ヶ鼻造船所に木造帆船の船釘などを供給した施設の跡が遺跡として保存されている。 |
1-4 | 萩城下町 | ![]() |
西洋技術の導入に挑戦し、産業文化形成の地となった萩(長州)藩及び萩の地域社会全体の特徴と本質を示す遺産。これらの政策を担った萩(長州)藩による統治の拠点である城跡や、上級武家地、町人地の町割りや伝統的建造物群がよく保存されている。 |
1-5 | 松下村塾 | ![]() |
日本の近代化の思想的な原点となった遺産の一つ。特に、海防の必要性と、西洋に学び、産業、技術の獲得を重視する考え方が、長州ファイブや塾生に引き継がれ、後に、明治政府の政策に活かされ、日本の急速な産業化に貢献した。 |
鹿児島 | |||
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
2-1 | 旧集成館 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
幕末、欧米列強に対抗するため、薩摩藩主・島津斉彬は集成館事業を始めた。 反射炉への挑戦と試行錯誤を物語る残存遺構が保存されている。 島津斉彬の没後、薩英戦争により集成館は焼失したものの、その後、島津久光・忠義父子により集成館事業の本格的な再構築がなされた(第二期集成館事業)。旧集成館機械工場は、船舶に装備する洋式の諸機械に関する技術を用いた幕府の長崎製鉄所から、その特徴・技術を引き継いだ貴重な建造物である。 (注)長崎製鉄所は幕府が設置し、後に長崎造船所となったが、当時の建造物や構造物は失われており、残っていない。 その他、イギリス人技師を招いた証左である鹿児島紡績所技師館の建物、蒸気機関を用いた日本最初の西洋式紡績工場である鹿児島紡績所の地下遺構が確認された遺跡などが、保存されている。 |
2-2 | 寺山炭窯跡 | ![]() |
集成館事業に用いる燃料の木炭を製造した炭窯の跡が遺跡として保存されている。 |
2-3 | 関吉の疎水溝 | ![]() |
集成館事業の動力源とする水を供給した疎水溝の遺構が遺跡として保存されている。 |
韮山 | |||
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
3-1 | 韮山反射炉 | ![]() |
欧米列強に対抗する海防用の大砲鋳造のため、西洋技術の情報を得て、日本の伝統的な施工技術を用い、独力で建設された。日本国内に現存している当時の反射炉としては、最も完全な形で保存されている。反射炉は連双式の炉2基でできており,それぞれ石製の基礎に耐火煉瓦で囲われている。連双式の炉は融解金属が一か所に集まるよう、直角に配置されていた。 |
釜石 | |||
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
4-1 | 橋野鉄鉱山 | ![]() |
釜石は、当時、日本国内で鉄鉱石が採掘された限られた場所であり、この地において、採掘された鉄鉱石を用い、高炉による製鉄が日本国内で初めて成功した。 西洋技術の情報を得て、日本の伝統的な施工技術を用い、独力で建設した3つの高炉の跡が、高炉の一部を成す石組み遺構として、現存している。 高炉跡のほか鉄鉱石の採掘場跡、運搬路跡などが当時からの立地環境とともに、現存しており、一連の生産システムを示している。 |
佐賀 | |||
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
5-1 | 三重津海軍所跡 | ![]() |
幕末、海防の必要性から、佐賀藩は、三重津海軍所を整備した。その遺跡が発掘調査により確認され、保存されている。 国防上の重要拠点である長崎の防衛を担当した佐賀藩は、外国から購入した洋式蒸気船を修理するために収容できる木造のドライドックを有明海に通ずる河川敷に建設した。また、佐賀藩は、幕府の設置した長崎海軍伝習所(遺構が現存していない)に多くの藩士を派遣し、そこから持ち帰った 西洋技術の情報を基にした、船舶に関する洋式技術の獲得と実践の拠点とした。 |
長崎 | |||
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
6-1 | 小菅修船場跡 | ![]() |
現存する日本最初の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を装備した洋式船架。1869年に、長崎港において、薩摩藩とスコットランド出身の商人トーマス・グラバーの協力の下、建設された船舶修理施設で、明治政府が買収し、1887 年に三菱の所有となった。曳揚げ小屋は、現存する日本最古の煉瓦造建築で、コンニャク煉瓦が使用され、曳揚げ装置はグラバーがイギリスから購入した。当時の船架の形状から通称ソロバンドックといわれ、現在も長崎造船所造船工場の対岸に位置する工業港区の中で、当時の造船業の姿をとどめたスリップドックが現存している。 |
6-2 | 三菱長崎造船所 第三船渠 |
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1901 年から1905 年にかけて三菱合資会社時代に築渠した大型船舶修理用乾船渠(ドライドック)。背後の崖を切り崩し、前面の海を埋立て拡大した。開渠時に設置された英国シーメンス社製の電動機で駆動される排 水ポンプは100 年後の今も稼働し、ドライドックの機能を維持している。船渠は拡張を行っているものの、三菱合資会社の当時の姿をとどめる貴重な資産である。 |
6-3 | 三菱長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン |
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三菱合資会社の時代に、造船所の工場設備電化に伴いわが国に初めて建設された電動クレーン。英国アップルビー社製造。 大型舶用装備品の吊り上げ荷重に耐え、電動モーターで駆動される当時最新のクレーンで、1909 年に造船所の機械工場付近の飽の浦岸壁に、タービンやボイラなど大型機械の船舶への搭載と陸揚げのため建設した。現在は機械工場で製造した蒸気タービンや大型舶用プロペラの船積み用に 使用している。 |
6-4 | 三菱長崎造船所 旧木型場 |
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三菱合資会社時代の木型場。1898 年に鋳物製品の需要増大に対応して建設された。工場建物は木骨煉瓦造二階建てで、鋳型製造のための木型を製作した。1985年、木型場は史料館として改装され、長崎造船所の歴史を紹介する展示施設として一般公開されている。現役の長崎造船所の工場構内で、貴重な産業遺産を理解する歴史的空間として活用されている。 |
6-5 | 三菱長崎造船所 占勝閣 |
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造船業形成期の三菱合資会社時代に、占勝閣は、第三船渠を見下ろす丘上に建設された木造二階建洋館。長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として1904 年に完成したが、所長宅としては使用されず、迎賓館となった。1905 年、軍艦「千代田」艦長の東伏見宮依仁親王が宿泊した際に「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名された。設計者の曾禰達蔵は英国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子。占勝閣は現在もほぼ創建当時の姿で迎賓館として、進水式・引渡式の祝賀会、貴賓の接待等に使用している。 |
6-6 | 高島炭坑 | ![]() |
幕末から明治にかけて、西洋の機械が使えるようになると,石炭の需要が大きくなり、長崎沖の洋上の高島において、佐賀藩がスコットランド出身の商人トーマス・グラバーとともに、海洋炭鉱を開発した。北渓井坑 は日本最初の蒸気機関導入による竪坑で、日本の炭鉱近代化の先駆けとなった。 |
6-7 | 端島炭坑 | ![]() |
端島炭坑は、高島炭坑の技術を引き継ぎ、発展させ、炭鉱の島として開発された。 明治中期以降に採炭事業が本格的に開始し、1890 年からは三菱の所有となり、明治後期の高島炭鉱(高島、端島による海洋炭鉱群)の主力坑となった。高品位炭を産出し、国内外の石炭需要を賄った。明治末には八幡製鐵所へも原料炭を供給した。 産業活動の停止と住民の撤退後、現在は、坑口等の生産施設跡や数次にわたり拡張された海岸線を示す護岸遺構が残存する。(崩壊寸前のコンクリート高層住宅群は、大正時代以降に建設されたものであり、顕著な普遍的価値を反映する要素ではないが、文化財としての価値を持つ。) |
6-8 | 旧グラバー住宅 | ![]() |
小菅修船場や高島炭坑の建設、事業化に協力し、後に三菱合資会社の経営にもアドバイスを与え、石炭・造船など、当時の日本の主要産業の近代化に貢献したスコットランド出身の商人トーマス・グラバーの活動拠点。技術に関する価値観の交流へのグラバーの貢献を示している。棟梁は大浦天 主堂などを請け負った天草出身の小山秀と思われる。対岸に三菱長崎造船所を眺望できる地点に位置している。 |
三池 | |||
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
7-1 | 三池炭鉱、三池港 (宮原坑、万田坑) (専用鉄道敷跡) (三池港) |
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宮原坑 宮原坑は三井買収後に初めて開削された明治期から昭和初期にかけての三池炭鉱の主力坑口。炭鉱は閉山し、産業活動は営まれていないが、第二竪坑櫓と巻揚機室等が残る。 万田坑 万田坑は宮原坑に次いで開削された坑口。宮原坑と共に明治期から昭和中期にかけて三池炭鉱の主力坑口として機能した。既に三池炭鉱は閉山し、現在は、産業活動は営まれていない。第二竪坑跡と鋼鉄製の櫓、煉瓦造の巻揚機室、倉庫及びポンプ室(旧旋風機室)等の明治期における石炭産業の施設が良好な形で現存する。 専用鉄道敷跡 三池炭鉱において産業活動が営まれた当時、三池炭鉱各坑口と積出港とを結ぶ専用鉄道が建設され、三池炭やその他の産業用の物資を輸送していた。既に三池炭鉱は閉山したが、鉄道敷跡として、鉄道建設時に土地を造成した切土や盛土の跡が残存し、当時の鉄道の運行を想起させる連続した歴史的空間が現存している。 三池港 日本の産業国家としての確立期である20世紀初頭において、石炭産業を支えた物流インフラ。マサチューセッツ工科大学に留学し、西洋技術を学んだ三井財閥の団琢磨の主導により、三池炭を大型船に積載し国外へ輸出するために1908 年に築港された。はばたく鳥のようなハミングバード(はちどり)の形状を保ち、遠浅の有明海からもたらされる砂泥の影響を克服するために設けられた長大な防砂堤、潮位差を解消するための潮待ちの内港、閘門を備えた船渠などの港湾施設が計画的に配置され、現在も重要港湾として機能している。臨港地区には三池港築港時の港湾関連施設が一部残っている。 |
7-2 | 三角西港 | ![]() |
オランダ人ムルドルの設計。国庫補助を得て建設された港で、わが国の明治三大築港の一つ。三池港が開港するまでの一時期、三池炭は三角西港を経由して、海外に輸出された。現在も、関連施設の遺構と築港当時の景観がよく残っており、当時の土地利用が想起される。 |
八幡 | |||
ID | 構成資産名 | 写 真 | 概 要 |
8-1 | 官営八幡製鐵所 (旧本事務所) (修繕工場) (旧鍛冶工場) |
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旧本事務所 官営八幡製鐵所創業2年前の1899 年に竣工した初代本事務所は、中央にドームを持つ左右対称形の赤煉瓦建造物で、長官室や技監室、外国人顧問技師室などが置かれた。 修繕工場 1900 年、製鐵所で使用する機械の修繕、部材の製作加工等を行う目的で、ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ(GHH.)社の設 計と鋼材を用いて建設された鉄骨建造物。その後、鋼材生産量の増大に伴って3回増築された。創業から現在まで110 年以上の間、修繕工場として稼働し続けている。 旧鍛冶工場 1900 年に、製鐵所建設に必要な鍛造品の製造を行う目的で、修繕工場と同様、ドイツのGHH.社の設計と鋼材を用いて建設された鉄骨建造物。製鐵所の拡張工事により増築されたが、その後、1917 年に現在地へ移築されるとともに製品試験所になった。 |
8-2 | 遠賀川水源地ポンプ室 | ![]() |
遠賀川の河口から約10キロにある官営製鐵所の取水・送水施設。官営製鐵所第一期拡張工事に伴う工場用水不足を補うため、1910 年に操業を開始した。明治建築の典型的な煉瓦建造物。動力は蒸気から電気に変わったが、現在も稼働中。 |
位置図
構成資産の位置と範囲

萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡

大板山たたら製鉄遺跡

萩城下町

松下村塾

旧集成館

寺山炭窯跡

関吉の疎水溝

韮山反射炉

橋野鉄鉱山

三重津海軍所跡

小菅修船場跡

(三菱長崎造船所)
第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、
旧木型場、占勝閣

高島炭坑

端島炭坑

旧グラバー住宅